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3:The Crowning with Thorns:いばらの冠

続いて、3つ目のMystery、The Crowning with Thorns:いばらの冠、を黙想します。

ファウスティナさんの日記には、このようにあります、

鞭打ちの後、拷問を加える者たちが主を取り押さえて、
すでに傷にくっついていた衣を引き剥がします。
彼らが衣を取り去ると、主の御傷は再び開きます。
それから、主の新しい傷の上に汚いぼろぼろになった深紅のマントを掛けます。

それから、茨の冠を編んで、それを主の聖なる御頭にかぶせます。
主の手に葦を持たせ、王に対してするように主にお辞儀をしながら、主を嘲笑します。
ある者たちは御顔に唾を吐きかけ、
他の者たちは{御手から}葦を取って、それで御頭を叩きます。
他の者たちは平手打ちを加えて苦しめ、
さらに他の者たちは御顔を覆って拳で殴ります。

イエスは、このすべてを静かに耐え忍ばれます。
だれが主を理解することができるのでしょうか
ーだれがその御苦しみを理解することができるのでしょうか。
イエスの目は伏せられています。
イエスがその瞬間に苦しんでおられることを、めいめいの霊魂が黙想してください。
彼らは主を侮辱することにおいて互いに抜きん出ようとしました。

 

聖ファウスティナさんがその場に、イエス様と共にされた、というだけあって、
描写がとても生々しいです。そして聖書の記述にも合致しています。

特に最初に出てくるgarment、衣の描写。鞭打ちで全身傷だらけ、
血だらけの状態で着ていた衣、剥がされたらくっついていた傷が開きます。
そしてその上にボロボロになった深紅の衣を着せられました。
偽王様として囃し立てるためです。

 

いばらの冠を被せられ、ローマ兵から散々に傷めつけられ(今で言う・・リンチ?)、
それでも静かにすべてを耐え忍ばれたイエス様・・
どのような心境だったのでしょうか。。
なぜそのように耐え忍ぶことが可能だったのか。。

この時の、この瞬間のイエス様が味合われた侮辱、屈辱、苦しみ、痛み・・を考え、
黙想してみましょう、とファウスティナさんは私たちに勧めています。

 


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