4:Carrying the Cross:十字架を背負う

いよいよ、十字架を背負い、ゴルゴタの丘を登っていくイエス様を黙想します。

ここでは聖ファウスティナさんは、イエス様だけではなく、
人々が十字架を背負っているのを見ます。

 

イエスがしばらく十字架にかかっておられた時、
一団の霊魂たちがイエスと同じように十字架につけられているのを見ました。
次に、第三集団の霊魂たち、そして第二集団の霊魂たちを見ました。
第二集団の霊魂たちは、十字架につけられておらず、
両手でしっかりと十字架を抱えていました。
第三集団の霊魂たちは、十字架に付けられてもいなければ、
十字架を両手にしっかり抱えてもおらず、
十字架を自分の後ろに引きずっており、不機嫌でした。
すると、イエスは私に言われました。

「これらの霊魂たちが見えるか。
彼らが苦しむ痛みと侮辱とにおいてわたしに似ている霊魂たちは、
栄光においてもわたしに似るであろう。
しかし、苦しみと侮辱とにおいてあまりわたしに似ていない者たちは、
栄光においてもわたしにあまり似ないでろう。」

 

イエス様のように十字架に付けられている人、
十字架には付けられてはいないが両手でしっかりと抱えている人、
そして手にも抱えておらず自分の後ろに引きずっていて、不機嫌な人。

ファウスティナさんの日記には、この十字架に付けられている霊魂たちの中で
一番多いのは聖職者たちであった、という記述があります。

ここには、大きなレッスンが現れていると思います。

私たちには、例外なく、それぞれに十字架が与えられていて、
それは困難であったり苦痛です。
たいがい自分にはどうにもできない問題だったりします。

しかしそれを、イエス様がなさったように、しっかりと受け止め、
耐え忍ぶ時に、イエス様に似せられた姿に変えられていく大きな祝福となり、

逆にそれを拒絶すれば、自分の足を引っ張るだけのただの重荷、
しかも引きずっているわけですから、
抱えるよりもさらに重い重荷になってしまいます。。

そしてそれに対して不機嫌で、結果的にイエスの似姿には近づけない、
とイエス様がおっしゃいました。

自分に与えられた十字架、それを受け止め、
しっかりと抱えることができるよう、力を与えてくださり、
イエス様の似姿に近づかせて下さい、と祈ります。。

 


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