5:The Crucifixion:十字架に磔(はりつけ)にされる
いよいよ最後のMystery、The Crucifixion、十字架に磔(はりつけ)にされる、の回です。
聖ファウスティナの日記で、たびたび、
イエス様が十字架にかけられている姿を
ファウスティナさんに現されている様子が綴られています。
その場面を想像するたびに、イエス様は常に私たちのために犠牲を
捧げ続けてくださっているのだ、と思わされます。
なぜなら神に”時”はないから、です。
2018年前のことだけではなく、今現在のことでもあるわけです。
なので、教会の十字架にイエス様がいないと、
やはり寂しいな〜と感じるのです。
からっぽの十字架・・ただの十字架であれば、
それは誰の十字架でも成り得てしまいます、
当時たくさんの人が十字架刑に処せられたのですから。
しかしイエス様がいらっしゃるから初めて十字架が意味を持ってくる。。
もちろんイエス様は復活されたのですが、同時に十字架の苦しみをも
私たちはもっと考えるべきなのだ、と私は思うのです。
私たちの救いのために支払われたイエスの十字架の犠牲・・・
そのことを思いながら、日々私たちが感じる苦しみ、痛みを、イエスの受難に合わせて、
罪人の救いのために天の御父にささげなさい、とイエス様はおっしゃっています。